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若干二十歳前後の若者たちの台頭で、ゴルフブームが再燃しているようです。
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巻き舌で怒る親熊の図。随分とツバキが飛び散っています。
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目線
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夜明け前のライバル
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ゴルフ依存症
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風力本願でカップ・イン
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紅葉と抜け毛の秋
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瞬間湯沸かし器、沸騰中にカップイン
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泥棒カラス
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すまじきものは・・・
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バードマン
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今年の年賀状は新年にずれ込んでの印刷でした。大病してからは、時間はたっぷりあるからと焦らなくなってしまいました。いけませんねぇ。

フリーランス第1号作品。1978年3月の企業広告イラストからの出発でした。



色鉛筆時代の企業広告カーツーンです。これが印刷物になったんですから、懐の深いのんびりした良い時代だったんですねー、昔は。



1997年まで彩色は色鉛筆を主に使っていました。この頃の前後から画材がカラーインクに替わっていきました。色鉛筆で彩色するってのは結構体力勝負だったので、画材を替えていったんですね。ズルイなぁ。
私の職業の出発点はブラック・ユーモアの一枚マンガでした。
世の中が今のように多様化してくると、すべてブラック・ユーモアに囲まれているようなもので、生活して行けるハズもなく考えを変えなければ生きていけません。
それでも40年ほど前までは世の中に余裕があったのか、ブラック・ユーモア全盛といえないまでも結構目にしました。
生活出来ないと分かっていても一枚マンガからは離れる事が出来ず、暇が出来て気が向いた時はごくたまに孤島マンガを描いていました。そのうちの一枚が上の絵です。
フリーランスの出だしに、幸運にも小説月刊誌で初めて連載を貰ったとき、最初の一歩がブラック・ユーモアの一枚マンガ、『拒否する孤島』でした。
言葉の遊びで孤島に行く時に、何かひとつだけ孤島に持っていってもいいと言われたら、あなたなら何を持って行きますか?と、話題が振られたら私は躊躇なく(鉈)か(手斧)と答えます。
欲をいうと、ボゥイーナイフのような鉈が。
百科事典?・・・とんでもない!一枚マンガのアイデアの出だしには役に立つかもしれませんが、二ヶ月しないうちに餓死かも知れません。

こういった軽めのマンガはタイトルなんか付けない方がいいんですが・・・。
私の甥の一人が小学生低学年だった頃、登校中に富士山が見事だったので見とれて電柱にぶつかったというエピソードを持っています。間違いなく私の甥だ!と思いましたね。
日刊ではありませんでしたが、初めての新聞連載マンガです。掲載は通常の新聞マンガと同じ縦組みでした。
冠婚葬祭タイムス19号の、昭和58年5月から約二年間にわたって発表。我が家で最初に飼った柴犬ケンゴをモデルに活躍してもらいました。
この新聞マンガの設定は、愛犬と一緒の生活に憧れていた頃でしたので、すんなりと決まりました。
本格的な寒波到来の今日は、犬の散歩にも最適の天気となりました。
私も愛犬と散歩が出来ていれば着脹れのこんな格好で、カミさんの「私も笑われるじゃないのッ」という声を背に田んぼ道に向かったでしょうね。

新年おめでとうございます。
今年は例年より仕事始めが早く始まると聞きました。
年頭に当たって例年と同じく無理せず自然体で病後の体や仕事に、そして趣味に向き合っていくつもりです。
本年も宜しくお願いいたします。
長女が生まれたばかりで、証券会社でアルバイト生活の頃の、投稿作品第一号です
実質ここからが出発でした。
20数点描いたんですが、掲載は月を跨いで3点のみ。月刊小説宝石でした。
本当に運が良かったとのと、心底ホッとしました。
現在の証券会社は、モニタで株の流れが瞬時に分かりますが、以前の証券会社でのアルバイトに、ラジオから流れてくる午前と午後の株式市況を直接黒板に書き留めていく仕事がありました。
600以上ある一部上場企業の銘柄が付いている黒板は、約6ー7メートル幅で高さ1メートル弱の台の上にあり、チョークで株価の上下を瞬時に修正していかなければならず、午前と午後たっぷり二時間縦横に動く体力と、技術が必要でした。
素早い動きなど縁遠い運動神経皆無の自分でも、崖っぷち生活だからこそ出来たんでしょうね。
子供が生まれては、いつまでも夢を追ってはいられません。
覚悟を決めて水道橋にある工業系の小さなデザイン会社に就職することになりました。








毎月3ー4点描いたものを、編集部の方でセレクトして月一点掲載。この頃は本郷三丁目駅近くの小さなデザイン会社に通勤していたので、こういった環境から出たアイデアが多かったんですね。
(前回の続き)小さな(社員3人の)工業系デザイン会社で二ヶ月も過ぎた頃(だったか)、突然カミさんから仕事中の私に電話がきて、ハクホウドウという所から電話があって、連絡して欲しい旨の緊急連絡でした。
折り返し電話を入れると、私の漫画を企業広告で使いたいとのことで、願ってもない話でした。
当時の私は社会人として勿論半人前で、企業広告など知識ゼロでしたので何の知識もなく、ハクホウドウの名前は何処ぞの老舗和菓子屋か漢方の店かと勘違いしたくらいでした。
(続き)私には畑違いのファッションイラストは、編集部ではどのくらいの画力かを見るためのものだったようで、当時色鉛筆で彩色も物珍しかったのか小さなカットでしたが即注文があり、その後も週間プレイボーイ誌に車や地図、説明画など畑違いの分野も厭わず描きまくり、後年雑食性イラストレーターとしての基礎を鍛えてもらったものでした。
上の絵は最初のコンタクトの時に、博報堂に見本として持って行った習作の一部、ゴルフ狂のロッククライマーの一枚漫画がゴルフツアーのパンフレットとなって使って貰ったもの。
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